2009年01月15日

番外編「クンダリニーは安眠を妨害する」

今回は、番外編である。
僕個人のメモ的なものなので、読み飛ばしていただきたい。

実は、ここ1年以上、多忙やその他の理由で、瞑想を行っていない。
このブログも、半年くらい開いていなかった。

現在のところ、自分の瞑想の経験から分かっていることのひとつに、人間は誰しも、寝ている間は幽体離脱していることが多いということがある。
ただ、人間は一定の周波数以下の脳波になると、意識を失ってしまう。(要するに眠りの状態になる。)なので、せっかく幽体離脱していても本人の意識がないので分からないのである。

しかし、練習次第で、シータ波やデルタ波など、完全に眠っているはずの脳波の状態でも、意識を保つことが可能となる。

つまりは、それが瞑想のひとつの状態でもあり、瞑想が目指すところでもあるのだが。

僕の場合、実は数年前から、瞑想を行わなくても、寝入りばなに突如として幽体離脱したりする現象がよく起きていた。(幽体離脱は、個人的にはクンダリニー上昇の前によく起こる。)
そしてそのまま、特にそうしようと思わないのにクンダリニー覚醒・上昇が始まるというパターンをよく経験していた。

瞑想を初めて間もない頃は、幽体離脱の状態に至るまでには相当な苦労をして意識を保つことに全力を傾けていた。ともすれば眠りに引き込まれそうになるところを、何とか意識を保つのは本当に大変で疲れるものであった。
僕の場合は、呼吸に集中していた時期があったり、眉間のチャクラに集中していた時期があったりといろいろと工夫をしたものである。

しかし、何十回となくクンダリニー覚醒を行っているうちに、だんだんと、脳波が下がってきても意識が持続するようになってきた。これは、瞑想の練習の成果というよりも、クンダリニー自体の力で、僕の精神と肉体が変化してきている感じである。

経験上言えることだが、クンダリニーは、人間の頭脳を明晰にし、かつその精神を、少しずつではあるが、フルタイムでリラックスしている状態に導いていく。

僕の場合、クンダリニー覚醒後に、なぜか少しずつ訪れ始めた「安堵感」という感覚によって、昔はいかに自分が緊張状態にあったのかということがよく分かった。今まで無意識に緊張し、小さく固まっていた自分の意識が「安堵感」で満たされていき、柔らかくなった意識の裾野が薄く広がり、自然と周囲の空間に「自分」という意識が遍満していくのを感じるのだ。

結果として、眠っているような脳波でも、本人の意識が消え去りにくい状態になっていく。今まで直情的で「怒る」「喜ぶ」「頑張る」などのストレートな感情を持ち続け、それに疲れて夜は眠るといった状態から、「ふわっ」とただ「存在する」「遍満する」という状態が十分に「アリ」なのだということを体感し、徐々にそのような「あり方」に変化していく。

この状態だと、論理思考を何時間続けても全く疲れないため飛躍的に論理的な人間になるし、感情に支配されないため、まだ知らないものごとを「洞察によって知る」ことが上手くなり、「直感」が当たるようになっていくのだ。
生きることが飛躍的に楽になる。

そしてそんな折、実は先月くらいから少しずつ、ベッドに横になってしばらくたつと、自分では全然眠くもなっていないのに、いつのまにかスーっと体が浮き上がる現象を体験しはじめたのである。(体と言ってもいわゆる幽体の離脱であるが)
全く眠くなく、眠ったという自覚も無く、起きている状態である。しかもベッドに入ってからわずか数分しか経過していないような状態でもある。

そんな状態で、ふと気付くと、何の抵抗もなく肉体から抜け出し、フワっとした感覚とともに、天井が近づいてくるのである。
この状態は、昔から何度も経験している「普通の幽体離脱」の状態であるため、感覚的には慣れているのだが、このように「起きているそのままの状態」でこうなるものではないので、正直、軽い衝撃を受けた。

すると昨日のことであるが、上記の離脱状態になった後、いきなり前立腺(性器とお尻の中間あたり)を、下から棒で突かれるような痛みが走った。
「キタ!」と思った。
クンダリニー覚醒の直前の状態である。この状態を少し我慢すると、やがて前立腺のあたりに溜まったエネルギーが放出されはじめる(つまり覚醒・上昇)が始まるのである。

しかし、昨日は感覚的に少し違っていた。棒で突かれる痛みは同じだが、今まで長い間、棒だと思っていたものが、実は自分の体内からニュっと突き出しているパイプ(管)のようなものではないか、とふと思ったのである。
そこで、両手を動かして・・と言っても、この状態で動くのは肉体の手ではなく、離脱した幽体?の手である。
その手で、性器の下あたりを探ってみると、あきらかに固い棒があり、それに手があたると、跳ね返されるような感覚と共に、自分の股間に痛みが走ることが分かった。
やはりこれは、肉体から突き出している、いわば僕自身の付属物だ。長さは、少なくとも30cm以上、下に突き出している。もっと長いのかもしれないが、手では確認できない。いわゆるヨーガでいう、スシュムナー管であろうか?
話に聞くスシュムナー管?らしきものを手で確認できたため、ちょっとした感慨が心をよぎった。

そうこうしているうちに、クンダリニー覚醒が始まった。
耳元で、「ウィーンウィーン」という、覚醒時特有のモーターのような唸り音が聞こえはじめ、前立腺の痛みがフッとやわらぐと同時に、そこから頭上へと逆流する滝のようなエネルギーの塊が間欠的に上昇を開始する。

昔より、上昇の間隔が早い。
10年くらい前は、1秒に1〜2発のエネルギーの塊が上昇してくる、といった間隔だったが、今回は1秒に3発くらい上がってくる。

しかも、何発かに1発くらいは、頭に入りそこねて、首から横に「ポンッ」と飛び出し、そのまま顔の横をかすめて(その風圧を感じる)斜め上のほうに飛んでいく。
これも、昔は無かったことである。恐らく今回は上昇の間隔が短いので、頭に前のエネルギーが入ってから抜け切らないうちに次のが来てしまうため、いわば頭部が「一杯で入らない」状態なのであろう。
さらに、自分の手からも何かが放出されているのが分かった。全身が、エネルギーの塊と化していた。

さらに、いつものモーター音に混じって、なぜか上昇したエネルギーが頭にあたるとき、「チャポン、チャポン」という水音がする。
これは何だろう、と思った瞬間、理解した。人間の脳は、脳脊髄液という液体のなかに浮かんでいる。クンダリニーのエネルギーが頭を通過する際、脳脊髄液に当たって脳脊髄液を揺らしている音なのだ。

ということは、クンダリニーは物質的なものなのか?脳脊髄液は物質だ。決して意識の中にのみ存在するものではない。

心の中は「???」で一杯になった。
現実の物質を揺らしている一方で、クンダリニー覚醒中に眉間に意識を集中すると、物凄くキレイな、滝のような金色の光の粒子が間欠的に上に上がっていく幻想的な映像が見える。それは、とてもリアルな映像ではあるが、そのような光の粒子が水にあたって「チャポン」などという音が出るのだろうか?
(そういえば、書いていて思い出したが、昔、クンダリニー覚醒が終わる前に、肉体側に意識が戻ったことがあって、そのときは肉体の自分の頭部のまわりに、エネルギーの通過と同じタイミングで「シュパッ、シュパッ」という風圧をかなり長い間感じた。)

やがて、放って置けばいつまでも続く覚醒状態に、僕の心が疲れてきたため、一度目を開けて現実に戻ることにした。(といってもこの状態も僕にとっては現実だが。)
この状態からでは、騒々しくてとても眠りにつけるものではない。
慣れ親しんだ現実に戻る方法は簡単である。単に、「戻ろう」と意識して、目を開ければ数秒で戻れる。

今回も、ごくスムーズに、あっというまにベッドの上に上体を起こすことができた。この間、全く意識は途切れていない。全くもって現実である。

再び、ベッドに横になりつつ考えた。
このぶんだと、そのうち、起きて活動しているときでも、いつのまにか幽体離脱やクンダリニー覚醒が起こってしまう。そのあたりを意識でコントロールできなくなったらどうするのであろうか。
要するに、脳波を下げなければ良いのであるが。
通常、起きているときの脳波はベータ波とかアルファ波と言われている。これが、自然とシータ波やガンマ波などの寝ている脳波まで落ちてしまうと、今回のように離脱などが始まってしまうので、それが問題なのだ。

クンダリニーは、最初に覚醒してから10年程度の長期間に渡り、僕の意識下で働き続け、僕の脳波を、自然体でもシータ波などの低い脳波で活動するように精神と肉体の改造をし続けているようなのだ。

ちなみに僕が数えた限り、今までに数百回という単位でクンダリニーを覚醒させていると思う。(間欠的に上昇する1発を覚醒1回と数えているのではない。瞑想または眠ろうとして覚醒状態になった回数である)

まあ、先のことを心配しても仕方が無い。

その一方で、クンダリニーが目覚めてからというもの、現実でも不思議な恩恵を受けているのだ。

例えば、人と待ち合わせをして、偶然僕が乗った電車が大幅に遅れた場合、さぞや相手はご立腹だろうと現地へ急ぐと、相手も僕の到着と同時に向こうから走ってきて、「いつもはこんなことないのに、出かけに会社内に問題が起きて、その解決に追われて遅れた」などという類の言い訳をするのである。

この種の偶然は、枚挙に暇がない。

もうひとつ不思議な現象として、買い物をすると「釣銭が多く返ってくる」という現象が頻発する。あるときなどは、9万5千円のものを買い、10万円支払うと、なぜか相手はせっかく店のレジから取り出した5千円をそのまま数えてレジにしまい、僕が手渡したばかりの10万円を僕に「お釣りです」と渡したのである。
正直、冗談でやっているのかと思ったが相手は大真面目で、間違っていることを何度か指摘してようやく事態に気付き、物凄く不思議そうな顔をしている。

なぜ、こういった現象が起こるのか、自分なりに考えた結論がある。クンダリニーが覚醒すると、自分の意識領域が拡大していくため、いわば自分と対峙する相手の精神や、まわりの状況全体が、僕の精神に巻き込まれてしまうのではないかと考えている。

最初に例を挙げた、「自分が遅刻すると相手も遅刻する」という現象は、相手も遅刻してくれれば自分は謝らずに済むという僕の(あまり誇れない)無意識の心理が作用したものであり、後に例を挙げた釣銭が多く返ってくる現象は、単純に「お金」を無意識に僕が欲しているために、そうなってしまうのだと思う。一度だけ、自動券売機のお釣りまでが多く出てきたのには驚いた。
まったくもって庶民的な心の動きで申し訳ない。

このようなことを書くと、いろいろと批判などもあるかもしれないが、事実だから仕方がない。
お釣りなどは、すべてその場で返している。

これを読んだ方は、僕が仮に悪人で、例えば強盗やその他の犯罪を意図していたら。。と心配される向きもあるかもしれない。
しかし、そうはならない。いろいろな側面から考察して、そうはなりえないのである。

まず、悪いことを考えると、不思議と人間はドキドキするように出来ている。ドキドキせずに犯罪が行える人がいないとは言い切れないが、少なくとも緊張はするはずだ。
すると、どうしても脳波はベータ波やそれ以上の、とてもリラックスとはいえない脳波になってくる。
この状態では、意識は小さく、自分の肉体の中に納まる程度の大きさにしかならない。つまり、意識の力で周囲の現実に影響を及ぼすことはできないのである。

また、一度クンダリニーによって安堵のうちに広がり始めた精神を長く経験すると、どうしても、自分の中に強烈な感情が芽生えにくくなっている。

そのうえ直観力も鋭くなっているので、周囲の人の悩みや苦労などが見えやすくなる。いわば自分の心がカラの器のような感じで、そこに他人の感情が流れ込んでくる感じである。(言葉として分かるほどに明確なものではないが)
このような状態であるから、一見、悪人に見える行為を見てしまったときなども、なぜそうせざるを得なかったのかという背景が分かってきてしまうので、基本的に他人に対する慈愛が芽生え始めてくるのだ。

とてもじゃないが、自分がされてイヤなことや、肉体的な痛みなどを与える気にはなれないのだ。
ましてや、人間は寿命があり、どんな人でも、悲しい最後の別れが訪れてしまう。
他人の現実が、まるで自分の現実のように感じてしまうので、とにかくその人がいつまでも安泰で、平和であってほしい・・自分もその人に対して、やわらかく、まるくありたいとしか思えないのである。

さらにもうひとつの側面がある。
クンダリニーによって拡張した意識が空間に遍満しているのもあるが、それ以上に、ここまでの間に繰り返す幽体離脱の経験によって、自分の肉体だけが自分というわけではなく、自分はどこにでも存在し得るものであり、「自分と自分以外」という垣根は本当は無いのではないかという意識が、少しずつ定着してくる。
こうなると、他人の苦しみは自分の苦しみなのである。
自分に危害を加えるなど馬鹿げたことである。

どうです、誰が考えた仕組みなのか分かりませんが、うまい仕組みになっているでしょう?

簡単に言えば、悪人のままで脳波を下げるのは難しいのです。

次回はまた本編に戻りたいが、次回更新までには、またしばらく時間がかかるかもしれない。


−追記−

そういえば、昔、クンダリニーを知るために読んだ本の中に、成瀬雅春さんというヨギ(ヨガをする人)の著書がある。
そこには、成瀬さん自身のクンダリニー上昇を、複数の人に実際に見せるという実験の記録があった。
記憶の中で、そのときの傍観者の言葉を転載してみる。

「風が無いはずの室内で、カーテンがはためいた」
「何かが焼け焦げる匂いがした」
「成瀬さんの背骨がみるみる盛り上がり、そこに無数の仏の顔が浮かんだ」

こんな感じだったと思う。記憶違いがあるかもしれないがご容赦ください。
自分のクンダリニー覚醒時もこんな現象が起こっているのだろうか・・
だとしたら、やはりクンダリニーは物質的なものなのかもしれない。

ちなみに成瀬雅春さんは、空中浮揚をやってしまう、もはや別次元の人である。



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Weblog: 啓次
Tracked: 2009-05-03 04:00